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津田大介氏とミキ・デザキ氏の期待を裏切らない類似点

あいちトリエンナーレの

「表現の不自由展・その後」には驚きましたね。

昭和天皇の写真をバーナーで焼き、

灰を足で踏みにじる映像には多くの国民がショックを受けました。

実際には、そこまで過激ではなくても、

明らかに反皇室の作品が他にも多く展示されていました。


私の印象に残っているのは、

皇室の家族写真から皇族を消して、

家具だけが描かれている絵です。

過激なものではありませんが、明らかに皇室の消滅を願っている

作者の想いが不気味に伝わってきます。

これらのものを県が主催する展覧会で展示することが

不適切なのは当たり前です。表現の自由とは関係ありません。

単純に、多くの人を著しく不愉快にする作品が

税金を使って自治体によって展示されるのは不適切です。

それだけの話です。


ところで、津田大介芸術監督の発言を聞いていて、

既視感を感じました。

そう、反日映画「主戦場」の

ミキ・デザキ監督の発言と重なるからです。


ふたりとも最初は中立を装っています。


「主戦場」はディベート形式で、

慰安婦に関して異なる意見を持つ人々に語らせ、

判断は観客に任せるという触れ込みでした。

デザキ氏は、自分自身、慰安婦の証言の矛盾や証拠の欠如に

疑問を感じていると言いながら保守系識者に近づきました。

ところがふたを開けると、

映画は保守系の論者を徹底的に貶める構成になっていました。


デザキ監督は映画公開後、インタビューに応じてこう語っています。


「右派の偽善や一貫性のなさを見せたかった。

彼らはインタビューの中で、自らを批判することも時々口にしました。

何を言いたいのか理解するのに苦労することもありましたが、

さっき言ったこととダブルスタンダードだな、

とチェックしようと努めていました」

(日刊ゲンダイDIGITAL 2019年7月15日

「主戦場」デザキ監督 右派の一貫性のなさを見せたかった)


結局、公平を装いながらも、

内心は一方的な観点で意見が違う人々を

排撃してやろうと考えていたことを暴露してしまっています。


津田監督も、開会前にはこのように語っていました。


「感情を揺さぶるのが芸術なのに、

『誰かの感情を害する』という理由で、

自由な表現が制限されるケースが増えている。

政治的主張をする企画展ではない。

実物を見て、それぞれが判断する場を提供したい」

(朝日新聞デジタル2019年08月03日

「表現の不自由展」中止に。

慰安婦を表現した少女像めぐり抗議殺到 あいちトリエンナーレ)


まるで展示物が政治的主張をしていないかのように聞こえます。

作品は政治的主張をしているが、企画展は政治的主張をしていない、

という意味なら詭弁としかいいようがありません。


津田監督は結局、川村名古屋市長が

慰安婦像を撤去するように愛知県に要請したことを受けて開いた

記者会見でこう発言してしまいます。


「ただし、最後にお伝えしたいんですけども、

日本が自国の現在、または過去の負の側面に言及する表現が

安全に行えない社会になっていること。

それをこうやって内外に示すことの意味を、よくお考えいただき…。」


やはり最初から慰安婦のみならず、

皇室も含めて日本の負の側面

だと捉えていることを吐露してしまいました。


人間、本音は隠せないものですね。


最初は中立的なことを言いながら、

後から平然と自分の目論見を暴露してしまうふたり。

とてもよく似ていると思います。

これは偶然でしょうか?それとも必然でしょうか?


( 山岡 鉄秀 :Twitter:https://twitter.com/jcn92977110 )